選択肢は自らつくり出す~サノ ケイコからreport~
選択肢を自分でつくりだすのは簡単ではないと、初めは感じるでしょう。
正しいかどうかは気にしていないで、子供があそびながら、学んでいるように試していくと
よい動きへとつながっていきます。
4人のプラクティショナーが 、月ごとに自分の感じていることやお知らせしたい情報などフェルデンクライスに関することを皆様にお届けしています。
第38号-2019年8月は、サノ ケイコからお届けいたします。2019年9月は佐藤 英行です。お楽しみに。
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最近読んだ本の中で面白いと感じたことを紹介しようと思います。
紹介する本は「すごい論語」安田 登著
著者の安田さんという方は能楽師として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語などを研究している方です。
「選択」という言葉についての言葉の意味を書いている部分を紹介します。対談形式で、ドミニク・チェンさんとの対談です。
安田【論語の中には「選(撰)」のほうはあまり使われていなくて、ほとんどが「択(擇)」なのです。
このふたつの語は区別されていて、意味が少し違います。
「選(撰)」のほうは、与えられたオプションの中から何を選ぶかという意味です。
「択(擇)」といのは、動物が死骸を放っておいて、その腐肉の中から骨を選び出す、
というのが原義。グチャグチャの中から、何かを探してくるのが択なのです。】
ドミニク【つまり、「択」とは、正解があらかじめ決まっていない世界ですね。
「選」のほうは、たとえば大学入試センター試験みたいな感じで、五択があって、
どれかが正解になる。だけど、「択」は、白紙を与えらえて、
正解のない問いを与えられているような状態ってことですよね。】
安田【そうです。で、もし選択肢をつくるとしたら、
自分で選択肢からつくり出さなきゃいけないないっていう。
で、論語の中の選ぶは、ほとんど「択」なのです。】
フェルデンクライスでも、同じ動きをいくつかの選択肢でやることで
動きが洗練されたり、今まで自分がやっていたやり方に変化をもたらすようになります。
また、どんな状況や環境でも自分をうまく適応できるようにしておくことです。
なにか正解、正しい動きがあって、いくつかの動きをやるわけではないのです。
まさに正解のない問いを自分にしているようです。
選択肢を自分でつくりだすのは簡単ではないと、初めは感じるでしょう。
正しいかどうかは気にしていないで、子供があそびながら、学んでいるように試していくと
よい動きへとつながっていきます。
モシェのよい動きとは、
「途中どこで止めたとしても、逆もどりさせたり、
そのままふたたびはじめの方向へ動きつづけたり、
全然別の動きを始めたりすることができるならば、
その動きは満足すべきものであると、だれしも認めるであろう。」
(フェルデンクライス身体訓練法から)
プラクティショナー サノケイコ