車間距離を取る ~佐藤 英行report~
プラクティショナーが 、自分の感じていることやお知らせしたい情報などフェルデンクライスに関することを皆様にお届けしています。第97号ー2025年10月は佐藤 英行がお届けします。
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先日、仕事のない平日にツーリングに出かけた。前方の車との距離を十分に保ち、後続車もいない状況で走るのは、極めて快適であった。速度や目的地に縛られず、ただ運転そのものに集中できる状態である。私はそのとき「常にこのようにマイペースで、自由に走ることができれば快適だな」と感じた。そしてこの「車間距離を取る」という行為は、単なる交通上の安全確保にとどまらず、我々の生き方や人間関係にも通底する普遍的な知恵なのではないか?と考えた。。。
フェルデンクライス・メソッドのAwareness Through Movement(ATM)レッスンにおいても、同様の現象が発生することがある。レッスンの最中に、自分の身体の輪郭や周囲の空間を、以前よりも明確に知覚できる瞬間が訪れることがある。それは新たな特殊能力が備わったのではなく、単に注意の向け方が変化した結果として、既存の感覚がより統合的に機能し始めたということなのだろう。このとき我々は、自身と環境との関係性を新たに再編し、「空間的距離」を調整しているのである。つまりATMレッスンは、外界との「車間距離」を感覚的に再設定するプロセスでもあるのだ。
レッスンの現場では、多くの人が身体の痛みを訴えてスタジオに来る。しかし、本当に重要なのは「痛みが消失した後に、どのように自己を再構成して生きるか」という点である。身体的苦痛以上に人を苦しめるのは、しばしば心理的な痛みであり、その背景には自己と他者との関係の不均衡が潜んでいる。
他者と完全に同化することは不可能である。生理学的な比喩を用いれば、それは臓器移植における拒絶反応と類似している。異なる存在を自らと同一視しようとすることは、心理的・社会的な摩擦を生む。したがって、対人関係においてもまた、適切な「車間距離」を確保することが、心身の健全性にとって不可欠なのである。
Dr. モーシェ・フェルデンクライスは「人間は自己を動かす存在である」と述べた。自己の動きが外界とどのように関わるか、その「間」にこそ人間の学習が生じる。対人関係においても、自他の境界を適切に保ちながら相互作用を行うことが重要である。近すぎれば過干渉となり、遠すぎれば断絶が生じる。心身の適応には、この「ちょうどよい距離感」を感覚的に調整する能力が求められる。
かつて、フェルデンクライスのトレーニングを受けている時に、トレーナーから「うまくやろうとするな」という指導を受けたことがある。当時はその意味を十分に理解できなかったが、今ではそれが「相手との距離を詰めすぎるな」という示唆であったのでは?と考えられる。成果を焦るとき、人は無意識に他者の領域に踏み込み、自己の感覚を見失う。
学習や人間関係において重要なのは、他者との同調ではなく、自己と環境との間に生まれる「空間」を意識的に保つことである。その空間こそが、自由な適応と創造的行為を可能にする。つまり「車間距離を取る」とは、単に危険を避けるためではなく、自らの行為と存在を明確に知覚するための行為なのである。
我々が生きる上での課題は、外界や他者との関係性において、自分にとって最も快適で安全な距離を探り続けることにある。その探求のプロセス自体が、自己認識と学びの核心なのではないだろうか。










