変化を味わい、深い注意力を払った場合のみ、新しい考えかたが身につく
毎回のレッスン毎に受けてくださったからの声で気づかされることが多々あります。
レッスンを受けて、このことが何と関係しているかをどのように考えたらよいかという声がよくあります。
レッスンの中の動きには沢山の要素が入っており、それらすべてを分からなくとも、何か一つでも気づいて事、面白いと感じたこと、いつもと違う感覚があること、そのように自分の中で起こったことを味わう時間が必要だと思います。
すぐにそれが何かと結びつけることができなくても、その経験は自分の中に残っていくでしょう。
何か拍子に思いがけずつながることがあります。
自分の身体の動きを通して、自分自身を知るようになっていくと、自らどんなこととどのように関係していけるか、どのように感じるのか、どのように考えるのか、導き出すようになっていける。
以前にも紹介しましたが再度フェルデンクライス身体訓練法(著モシェ・フェルデンクライス)から一部抜粋します。
変化を味わい、深い注意力を払った場合のみ、新しい考えかたが身につき、いままでと違った道に自分を導くことができる。変化を体験した為にもはや無効と思えるやりかたを信じることができず、それを排除できるようになった場合にはじめて、新しいやりかたを受け容れて、それを習慣に、第二の本性に変えることができるのである。
理屈の上では、精神力がありさえすればいいということになるかもしれないが、実際にはそれだけでは不充分なのである。人間の神経系は、習慣を保持し、できるだけそれを永続させようとするしくみをもっているからである。…… 神経系の機能には、そういう難しさがあるので、だからこそ、あらゆる改善に深い注意を払い、一連の動きが終るたびにそれを同化することが大切なのだ、そうすれば、われわれの感覚能力には、二重の結果がもたらされる。
つまり、間違った、ぎこちない、あまり快くないものとかんじられるようになった、今までの自動的な動きのパターンを抑制するとともにもっと受け入れやすく、よりスムーズに行える、より満足すべきと思える、新しいパターンを促進させることができるのだ。
このようにして獲得した洞察が、知的なものー濫觴、理解、説得のようなーではなく、もっと深い感覚の問題であり、これこそ個人的体験の成果に他ならない。
要するに、変化とその原因を知り、よく理解した時にはじめて、同様な条件下での体験を充分正確に積み重ねてその効果を強化し、その改善された状態を自分の感覚に深く刻みつけようとする気持ちが鼓舞されるのである。