時間、注意力、識別力
「体の中心を感じてまわす」のレッスンで感じたこと
イメージを使って、背骨から動きを始めるようにしながら、体をまわす動きを探索していきました。
受けたからは
お腹がこんなふうに動けるなんて、背骨の動きが自分には必要だと思った
疲れていたのか、すごく癒さた
初めはまわす動きが小さい部分しか感じなかったが、背骨を意識したことで背骨から細部にまで動きが伝わるのを感じた
背が高くなった、背骨からの動きを普段やらないので面白かった、何か使えそう
同じレッスンをしても、レッスンから感じ取ることは、実にさまざまでそこが面白い。
フェルデンクライスを始めた頃は、今日は股関節についてのレッスンだと言えば、レッスン後には股関節が楽になったといった感想や股関節の動きが悪いから股関節のレッスンをやりたいと思っています。
何度かレッスンを受けるうちに、全然関係ないと思われる部分ー思いもしない部分ーに影響することを体験していくと自分自身のとらえ方に変化が起こってくるようです。
このレッスンが何によいかという視点からこのレッスンで感じたことや変化を楽しみ始め、自然に普段の暮らしの中で変化に気づくようになります。
体の改善は、これをやれば、こうなりますとうような機械的なものではないのだと次第に感じ始めます。
モシェの「フェルデンクライス身体訓練法」から
「注意力、識別力、理解を欠いた筋肉の使用は、だた機械的な動きに過ぎず、その場の効果以外になんの価値もない・・・・・そのような動きには、高度に発達した人間の神経系を必要としない。」
プラクティショナー サノケイコ