聴覚と感覚 ~サノ ケイコreport~

プラクティショナーが 、月ごとに自分の感じていることやお知らせしたい情報などフェルデンクライスに関することを皆様にお届けしています。第83号ー2023年11月・12月はサノケイコがお届けします。

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ATMレッスンでは見本を見せず、声のガイドによって動きを行い、自分のやっている感覚に注意を向けるというやり方を行います。FIレッスンでは、手によってその人の動きに問いかけをして、注意を向けてもらいます。

モシェのフェルデンクライス身体訓練法によれば、

「われわれはだれしも、それぞれ違ったやり方で話したり、動いたり、考えたり、感じたりするが、いずれも歳月をかけてつくり上げてきた自分自身についてのイメージに従っている。

自らの行動様式を変えるためには、内部に抱いている自分自身のイメージを変えなくてはならない。

その場合に必要なのは、言うまでもなく、自らの反応の動力学を変化させることであって、ただたんにある行動を別の行動に置き換えることではない。そのような変化は必然的に、自己イメージの変化でなく、行動を動機づけるものの性質や関係するからだのあらゆる部分の動かし方に変化をもたらす。」

自己イメージを変えるやり方に、声による言葉の指示つまり音を聴くこと=聴覚を使うことを選んだのは、なぜなのか?という疑問を持っていた。

EMBODIED WISDOMの本の中に、モシェの初期の生徒であったThomas Hannaが

「聴覚の優位性に関して」の記載があったのが興味深いので、一部分を要約して紹介します。

胎児の時には、視覚はほとんどないが聴覚は存在しており、母親の心臓の鼓動、消化管、呼吸器に関する音などあらゆる音を聞いている。

赤ちゃんの最初の数年は、見ることではなく、歩くこと、話すことを学びながら過ぎる。つまり、乳児は最初に感覚と聴覚で環境への適応を位置づける。

私たちは成長過程で視覚より聴覚に基づいている。次第成長するにつれ、目と耳の両方から情報に注意を向けることを学ぶようになる。

更に子供が最初に読み書きを訓練し始めるときには、聴覚はだんだんと周囲のほとんどの空間から締め出される。自分が見ている空間にますます注意を払うことが増加することを学ぶ。一般に聴覚を通して周囲のあらゆる音を聞いているにもかかわらず、視覚では周りの空間のほんの一部分しか見ていない場合がある。

成長過程で聴覚より視覚に頼るようになる。しかも見ているが一部分しか見ていないということなんですね。

モシェの生きた時代より、現代はますます視覚からの情報を優先にして生活するようになっていると感じます。

大人になると視覚から情報を得るようになるからこそ、

成長過程の初期の段階で起こる学ぶ方法である聴覚と感覚をレッスンの中に取り入れることが、レッスンに必要な要素になるし、習慣的なやり方からも離れることができるとモシェが考えたのかもしれないと、この記載を読み感じたことです。

ATMレッスンで目を閉じて、動きに注意を向ける理由の一つかもしれないです。

かぜあそび

プラクティショナー サノケイコ

2023-12-28 | Posted in FK Tokyo 通信, ReportComments Closed 

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